『HEARTの気持ち』
挿絵:霧風 要(敬称略)



「私は、胸が薄い」
うららかな3月の昼下がり。
食堂兼調理場での賑やかなランチタイムは、突如響いた凛々しすぎる少女の声に、 一瞬にして異様な空気に包まれた。
『───出し抜けに、何を言い出すかなこのお姫様はよ…』
口には出さなかったが、周りにいた誰もが、声の主である舞を不審な 目で見つめる。
「…ま、舞?どうしたの?」
惚れた弱みか、はたまた相棒としての義務か、床に落としてしまったサ ンドイッチを拾いながら、速水は舞に声を掛けた。
「……私は、胸が薄いのだ」
速水の質問に、舞は先程と変わらない言葉を返した。既に食べ終わった 弁当箱を片付けると、ため息を吐きつつ自分の制服の胸元に視線を動 かす。
あんた、別に何もそこまで落ち込まんでも、という位悲痛な声で、舞は
ぼやき続けた。
「し…芝村さん?ホンマどないしてん?いきなり」
場の雰囲気に耐えられなくなったのか、加藤が努めて明るい声で舞に尋 ねた。
調理場のドアには、なんだなんだと、「野次馬」という名のギャラリーが 詰め掛けている。
「…この間、体育の授業で着替えていた時だ。他の女子に比べて、私の 胸はひときわ薄かったのだ」
「は、はあ…」

「自慢じゃないが私の胸の薄さは、 5121小隊内貧乳グランプリで、の のみとワンツーフィニッシュを飾れる程だ」
「……子供と比べるなよ」
「いくらなんでも、新井木よりはあるんじゃねーのか」
「何だとぉ?この、バカゴーグル!」

ドアの外では、滝川と新井木が場外乱闘を繰り広げている。と、そこへ ののみを肩車したまま、瀬戸口が器用に調理場のドアをくぐると、椅子 に坐り込んでいる舞の前に立った。

「人の成長なんざ、それぞれだぜ。お前さんはお前さんのペースで、大 きくなりゃいいじゃないか」
「瀬戸口…」
舞は僅かに顔を上げると、瀬戸口の紫の瞳を見つめる。
「俺は、今のお前さんが結構好きだぜ。その男前な性格も、若宮や来須 すらも余裕で抱き上げられる、異常なまでの馬鹿力も」
…女に遣う褒め言葉じゃねぇですぜ、師匠……と周囲が思ったかどう かはしらないが、舞は、瀬戸口の言葉に黙って耳を傾けていた。
そして、おもむろに口を開くと、
「───胸の薄いところはどうだ?」
「あー、それはちょっと男としては勘弁して欲しいなぁ…って、あ!」
舞の誘導尋問に引っ掛かって、ついポロっと本音が出てしまった自称 『愛の伝道師』は、ののみを肩から下ろすと、そそくさと調理場を 後にする。
「しょーがないなぁ、たかちゃんは。まいちゃん、気にしちゃめーな のよ」
可愛らしい仕草で小首を傾げながら、ののみは何処か憮然とした舞の 顔を覗き込んだ。


「ののみさんの言うとおりデスよ。同性のワタシから見ても、舞サン はとっても魅力的な女のコだと思いマース」
テーブルから立ち上がると、ヨーコは微笑みながら舞の傍にやって 来た。
「女の魅力ハ、胸だけではありまセーン。舞サンは、ステキなモノを いっぱい、いっぱい持ってるデース」
ヨーコは満面の笑みを浮かべると、その長身を屈めて舞を見下ろした。
だが、
「…すまぬが、そなたに言われても説得力がない……」
皮肉な事に、舞の眼前ではヨーコの豊か過ぎる胸が、誇らしげに揺れ ていた。
まるで、マスクメロンをふたつ抱えたようなセニョリータのスケール のデカさに、舞は改めて自分の胸のなさを痛感してしまったのである。
「…オーノー、ソーリー。そんなつもりじゃ……」
「いや、そなたは悪くない。ただ、今の私にそなたの好意を素直に受 け取れる余裕がないだけだ」
表情を曇らせたヨーコに軽く手を振ると、舞は新たに大きなため息を 吐く。

「もはや私には巨乳○ンター となって、小隊の女どものパイ拓を獲るしか、道は残されておらぬの か……」
「フフフフフ。いけませんねぇ。それは25歳未満は置いてけぼりの ギャグですよぉ」
「知っているあなたも、どうかと思いますが」
相変わらず妖しく身体をくねらせながら、岩田が恍惚の表情を浮か べている。
それにツッコミを入れながら、善行は、舞の言葉を理解してしまった 自分に「やはり、私は年長者ですねぇ」と、心の中で苦々しく呟 いた。
その時。

「───舞」

今まで舞の様子を対角から傍観していた来須は、その大柄な身体を 起こすと、舞の前まで歩み寄った。
声を掛けられた舞は、つと上を向く。互いを「運命の友」と認め合 った男が、帽子の影から自分の事を真っ直ぐに見下ろしていた。
「女の価値は、胸ではない(一部の乳揺れ・巨乳フェチ の皆さんからガンガンクレームが来そうですが、 そんな人は射殺して話を進めます)」
来須は舞の両腕を軽く掴むと、椅子から立ち上がらせた。
「…来須?」
「女に限らず、大切なのは…その奥にある『心』だ」
そう言って、右手でそっと制服の上から舞の心臓の辺りを包み込んだ。
時を刻む舞の鼓動が、掌全体に伝わってくる。
「お前の心は俺よりも…他の誰よりも大きい」
「来須…」
胸に載せられた来須の手を、舞は暫し無言で凝視する。ヘイゼルの 瞳が、やがて来須の青い瞳を捉えた。
そのまま、穏やかな雰囲気に戻れるかと、その場にいた誰もが期待 に胸を膨らませた矢先。

「───私の胸は、そなたの掌に余裕で納まってしまうのだな」
「?」
思いがけない反応に、来須は一瞬虚を疲れた顔をした。見ると、舞 の形の良い眉が、気の毒なほど下がりきっている。

「……どうせ私は───っ!」

舞は来須の手を払いのけると、絶叫しながら調理場のドアから、脱兎 の如く走り去っていった。
「…待て!そういう意味では……」
「───来須!君今どさくさに紛れて、舞の胸に触っただろーっ!」
「不潔です!破廉恥です!」
慌てて舞の後を追おうとしたのも束の間、来須は、怒りの形相をし た速水と壬生屋のふたりに取り囲まれてしまう。
「来須クーン…舞サンへのアプローチ、ド下手クソすぎデース」
「違う。俺はただ…」
「フツー、ギャラリーのド真ん中で、女の胸触るかぁ?」
呆れ顔のヨーコと一緒に、いつの間に戻ってきたのか、瀬戸口が来須に 意味ありげな視線を送ってきた。
 「たかちゃーん。ののみ、知ってるのよ。こーいうのって むっつりスケベっていうんでしょ?」
「ののちゃんは、そういう言葉は遣わないようにね」
相変わらず無邪気に問いかけてくるののみを軽く小突きながら、瀬 戸口は来須に向き直る。
「今回ばかりは、流石のあいつも相当へこんだみたいだぞ。…ん? どーすんのかな? 親友の来須君は」
「………」
瀬戸口の質問に、来須は答えられなかった。新井木も真っ青なほ どのゴッドスピードで舞が出て行った跡を、ただ呆然と見送って いた。


一方その頃。

「いつか…いつか絶対に大きくなってやるもん……」

尚敬高校売店前では、店員のおねーさんの訝しげな眼差しをよそ に、半ベソをかいた芝村の姫君が、いつの間に拾ったのかブータ を小脇に抱えながら、およそ『世界の選択』などとはまったく関 係のない決意を胸に、ひとり牛乳を飲んでいた。



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